2015年1月5日月曜日

タンゴが発祥した頃のブエノスアイレス


19世紀初め、ヨーロッパが貧困とコレラや疫病から逃げ出したイタリー、フランスの庶民は南米アルゼンチンと小国ウルグアイに流れ辿り着いた。

彼等はブエノス・アイレスの港町ボカやバルバネーラ街で祖国の音楽やダンスを随一の娯楽としていた。

 

タンゴが発祥する初期の頃。

あるカフェティンの店沿いの石畳の歩道通り、

歌と酒のパジャーダ(騒ぎ)が一時終わりについたその時。

 

薄暗いガス灯の灯火に浮かび上がる様に

店の外に出てきた一人の常連の不良仲間が

石畳の歩道に歩み出た時、

その場に起きた嵐の如き激しい喧嘩争いに巻き添えの末、

グループの何者かに鋭い一刃に刺され影の如く崩れ落ちる。

 

その男の名はハシント・チクラーナ。

いや、誰も知らない輩だったかもしれない。

この詩は貧困と異口同音のポンチョ(外套)に隠された

犯罪行為や盗人がカモフラージュした所の

ブエノス・アイレスやモンテビデオの

社会の底層に属す下層階級の人物達の

憎しみ抱く者や喧嘩好きな輩達の陰謀や

欲望により活気ずけられた普遍的リリシズムの失敗をも飲み込んだ世界。

 

それは後進的なリオプラテンセ芸術を描写する産物その物。

それは詮索好きなクリオージョ、

ずる賢い無精者、

優秀な怠け者達のグループ、

“ミーナ(女)”を絞り取る腹黒い売春宿のペテン師達の息ずく世界。

 

いわゆる場末の歌手達とパジャドール達の活躍が引き続く時期の事で、

港町、下町、そこのカフェティンの環境に育まれたミユージック、

初めの頃は歌詞も無く歌われない。 

 

薄暗い街角の広場や歩道脇でバンドネオンやギター、

時にはフルートが混じり奏でる単純な曲に合わせて

男同士か怪しいタイプの女性と踊る不純なダンスが幅を利かせていた。

 

それは所謂、上流階級からは隔たれ蔑み評価されていた場末の音楽。

そこに“冒険好きのトレードマーク”その物のハンカチを

なびかせながら相棒のギターを脇に抱えた若き“アバストのモローチョ”

も偶然にそこに居合わせた時代。

 

さまざまな音楽的ジャンルの中にタンゴが産声を上げたばかりの頃の事である。

社交サロンと闘牛で浪費するカチャファス(やくざ者)、

カフェ・パウリンを遠巻きに立ち尽くす退屈した連中、

粗野な眼差し流しつける物悲しき輩、

空に近いワインをぐい飲みするガジェーゴ、

急ぐことなく、

のんびりと物思いに耽け狭い窓辺に肘付きマテ茶を飲む隣人、

旨そうなアサードと振る舞い酒が常連達を呼び寄せる殺風景な中庭、

カフェティンのトロバドーレスとバイロンゴ達、

人目を引く喧嘩事を解説する輩、

それは日毎の不幸事の歌い手、

場末から湧き出した歌い手、

ごろつき達に無言にも賛意され、

ささやかな人情にもらい涙、

さらに高ぶった夢想的抒情詩が随一の光の中で舞う。

 

そして,好感、微笑み、不屈の、“アバストのモローチョ”はこのやり方で市場のナポリ人達の前で歌う。

 

あらゆる種類の歌い手達を招集させる純銀の流れの様な溢れ出る声を聴きながら、

この様なカフェティン、

不思議なカフェ・オ’ロンデマン、

そこはモローチョが好んだ舞台。

 

リオプラテンセの場末精神と強い混迷芸術の故に生まれ出てきた魔術師的歌手“アバストのモローチョ”カルロス・ガルデルのデビユー時代をボルヘの詩“ハシント・チクラーナ”のミロンガからのモチーフにより詩風的に回想した。

 

『エル・ボヘミオ記』


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